困難を「受け入れる」ための3つの言葉

転機を受け入れる言葉

「もうどうにもならない」、「にっちもさっちも行かない」

人生で一度や二度、人によっては何度もそんな修羅場にぶち当たります。

そのとき、特効薬のように効くアドバイスをくれる人が傍にいればよいのですが、問題が深ければ深いほど、他人が容易に理解できるものではありません。 むしろ、悩める本人が、誰かに理解して欲しいと思えば思うほど、逆に孤独を深めてしまうこともあります。

そんなとき、救いになるのが「言葉」です。

普段読みもせず、本棚に長年眠っていた本を、まるで三日ぶりにありついた食事のように「むさぼり」読んだり、今の自分が抱えた辛さに「その場で効く」言葉をかたっぱしからインターネットで検索したり。

私も人生の、家庭の、そして仕事の(時に辛い)「転機」に思いがけず衝突したとき、数えきれないほど、本とインターネット検索に救いを求めてきました。

あるときなどは、仕事のトラブルで心が張り裂けそうになり、出張中の飛行機の中で涙しながら本を読んだ思い出もあります。(その時読んだ本の中には、ベストセラー「嫌われる勇気:アドラーの教え)」もありました。)

何度もこんなことを繰り返している内に、あることに気づきました。

それは、「ありのままを受け入れること」に関する言葉によく出会い、心に響いていることです。 

そこで、今日は私が救われてきた「受け入れること」に関する言葉をご紹介します。

1.二ーバーの祈り(Serenity Prayer)

God, give me grace to accept with serenity
the things that cannot be changed,
Courage to change the things
which should be chaned,
and the Wisdom to distinguish
the one from the other. 

(日本語訳)

神よ、与えたまえ。

静寂とともに変えることができないものを受け入れる気品を、

変えることができることを変える勇気を、

そしてこの2つを見分ける智慧を。

アメリカの神学者、ラインホルト・二ーバー(1892–1971)が書いた言葉ですが、この言葉が有名になったきっかけは、アルコール依存症や神経症の自助

グループで使われたことです。 

私が何の本で出合ったかは思い出せませんが、この言葉からは、どうすれば辛い転機から早く立ち直るかを学びました。

それは直面している問題を、

「私が変えること」

「変えられないこと」

の2つに分けて、

「私が変えられること」だけに集中して取り組むことです。

2.ねずみ教のねずみ

あるねずみは、ねずみ教に入り、ねずみ教の教主にいろいろのお供え物をし、お祈りをし、それはそれは熱心に行事にも参加した。(中略)ところがある日、猫につかまってかじられてしまった。 

そこで、息子のねずみは教主に文句を言った。

「あれほど熱心にやっておったおやじが猫に食われて死にました。 神も仏もあるものかと言いながら死んだんです。」

するとこの教主は厳然として言った。

「あれは信心が足らんからじゃ」 

信心が足らんという一言で片づけられた。

それでは、猫に押さえつけられているねずみが食われようとしている場合に「救われる」とはどういうことか。

「それは悠々として食われていくことである。 私の業として悠々として食われていくのである。」

この話は、親鸞の「歎異抄」を解説した本に出てくるもので、救われる、というものの本質を解説したものです。 

理不尽な問題に直面したとき、私も「あれだけ努力してきたのに」とか、「〇〇のために動いてきたのに」と愚痴ったものでした。

しかし、救われることの本質が、「これまでの信仰の深さのお陰で、猫に食べられずに済む」ではなく、「悠々と猫にかじられて死んでいくこと」というのは、とても衝撃的な言葉でした。 受け入れることには、厳しさと覚悟が要るのです。

3.明け渡すということ

The signal to surrender comes when we are exhausted from trying to control a situation or win a battle.

(日本語訳)

「明け渡すべき時とは、状況をコントールしようとしたり、戦いに勝とうとすることに疲れたときです。」

患者が死を受容するまでの5つのプロセス(否認、怒り、取引、抑うつ、受容)を記した「死ぬ瞬間」の著書で知られるアメリカの精神科医エリザベス・キューブラー・ロス(1926~2004)が、亡くなる直前に書いた著書「ライフレッスン」に出てくる言葉です。

この言葉は前の「二ーバーの祈り」に通じるもので、状況をコントロールできるか、できないかの判断が求められるものです。 

しかし、それでもギリギリまでコントロールしようとして疲れ果てたとき、最後には全てを(諦めるのではなく)状況に委ねる(=明け渡す)という選択肢があるのだ、というこの言葉に、救われると同時に勇気をもらいました。

受け入れることが、困難を乗り越えるチームを作る

ここまで、「受け入れる」ことの本質を教えてくれる3つの言葉を紹介しました。

これらの言葉はいずれも古いものですが、その本質は現在も変わっていません。

ここ数年、ビジネスの世界では「心理的柔軟性」(Phycological Flexibility)という言葉が浸透しつつあります。  チームの力を最大限発揮するリーダーに必要な力として注目されているものですが、それには3つの力が必要と言われています。

  1.  必要な困難に直面し、変えられないものを受け入れる。
  2.  大切なことへ向かい、変えられるものに取り組む。
  3.  それら変えられないものと、変えられるものを客観的に見分ける。

(「心理的安全性のつくりかた」石井遼介著 より抜粋)

前述の「二ーバーの祈り」そのものですね。 

二ーバーの祈りは1930年代に書かれたものだそうですが、人が求める「困難に対処する力」の本質は、100年近く経っても何も変わっていないことになります。

それだけ、身に付けるのは容易ではないということですが、だからこそ、これらの言葉が人の心に響くのでしょう。

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